タイでビジネスをしていると、「言語」の問題にぶつかる場面は想像以上に多くあります。

翻訳や通訳はあって当たり前の存在ですが、
その精度や使い方まで深く考える機会は意外と少ないのではないでしょうか。

今回お話を伺った前田千文さんは、25年以上にわたりタイで事業を続け、
人材、翻訳、労務、さらには製造業の経営まで経験してきた経営者です。

偶然タイに渡ったことから始まったキャリアは、現場での数多くの試行錯誤を通じて、
「伝えること」が経営に与える影響を深く理解する歩みへとつながっています。

本記事では、前田さんの言葉を通して、タイで働き、
事業を行う上で知っておきたいリアルな視点を紹介していきます。


アベノ印刷(株)/ TJ Prannarai Recruitment 代表取締役
泰日経済技術振興協会 労働法講師
前田 千文氏
タイで2001年の起業以来、専門知識(主に法律関連)に特化した翻訳・出版、通訳者派遣業務に携わる。
お客様の依頼を通じて多くの労務問題を知り、必要な知識として日本の法律学を学び修士号を取得。
在タイ20年以上のタイ現場での経験を活かし、現在はタイ日系企業向けに労務関連アドバイザーとして活躍中。

 

 

タイで25年以上ビジネスを続けてきた理由― 人材・翻訳・法務・製造業へと広がったキャリア

 
Q.まずは前田さんのご経歴と今やってらっしゃるお仕事について少し教えていただけますでしょうか?

私はもともと日本語教師として、1998年の5月にタイに来ました。
でも、最初からタイが好きで来た、というわけじゃないんです。
実はタイの前にオーストラリアのパースにいて、もともと小さい頃から海外志向で、英語が好きで。
オーストラリアに行ったあとに、「もう一個、どこか別の国に行きたいな」と思って、その時はインドネシアに応募したんですね。
ところが、なぜかインドネシアはビザが取れなくて。

そしたら「タイに空きがありますよ。よければタイに行ってみませんか?」と言われて。
インドネシアもタイも、正直そんなに変わらないかな、と思って来たのが始まりです。
だから、タイがどんな国で何語を話していて…とか、ほとんど分からないまま来たんですよ。

本当にそのくらい関心がなかったです。


 

日本語教師は給料が安い。だから現地就職を考えた

日本語教師って、給料が安いんですね。
そもそもタイって、公務員の給料が低いんです。教師もタイ人だと公務員扱いになるので。
1998年の頃だと、民間が1万バーツぐらいの時に、公務員は6,400バーツぐらいでした。

この「民間より公務員がちょっと低いよね」という構造、実は今もそんなに変わってないんです。
公立の学校で働く外国人教師の私も、タイ人の先生と同じ給料になるので、当然民間より安い。

だから「このまま日本語教師を続けるのは、給料的に難しいな」と思って、タイで現地就職をしたのが次のきっかけです。
 

起業したいと言い続けたら、声をかけてもらった

現地で会社員を1年半くらいやった後にいろんな人に「起業したい」ってずっと言ってたんですよ。

海外って、ずっと会社員を続けるのは難しいだろうなと思っていて。
だから「いつか起業したい」って、あちこちで言い続けてたんです。

そうしたら「一緒に会社を立ち上げませんか?」って声をかけてもらって、2001年1月26日に会社を設立しました。
会社員を辞めたのは2000年12月です。

最初の事業は、人材紹介と派遣から始まりました。だから社名にもリクルートメントが入ってるんです。
派遣だと通訳の派遣もやるんですけど、通訳と翻訳って、同じ言葉を扱うようで全然違うんですよね。
文字にするのと会話にするのでは、求められる能力が違う。
そういう事業をやりながら知見が溜まっていきました。


 

経営で困ったから、法律を自分で学ぶようになった

会社をやっていく中で、私自身が法律で困った経験があるんです。

外部の弁護士やコンサルに助けを求めると、すごくお金がかかるんですよ。
だから立ち上げ当初から「いちいち人に聞いてたらどうしようもないな」と思って、
官公庁に直接連絡したりして、実務で覚えていったんですね。

そうすると、知識と自分の経験が結びついていくんです。
それがきっかけで、タイ労働法の本を自社で出版したりもしました。
出版したことでさらに知識が整理されて、「日本人向けに労働法を教えてほしい」という機会もいただくようになりました。

教えるようになると、今度は「月決めでアドバイスしてもらえないか」と言われて、
コンサルティングもやるようになって。もともとの幹があって、そこから枝葉がくっついていった、という感じです。


 

いまは印刷会社の経営も兼務

今は印刷会社も経営しています。
これはもともと、亡くなった主人の会社で、私は継ぐつもりはなかったんですね。
主人も、血縁も配偶者も含めて、家族には誰も継がせないと言っていました。

でも、主人が9月に亡くなってしまって。去年の3月頃から「誰もやる人がいない」という話が出ていたんです。
理由は単純で、会社が借金だらけで、製造業だから設備投資もかかるし、人も100人以上いる。そういう責任を誰も負えないんですよね。

私も経営者ではあるので、「極論、潰しても仕方ない」と思ったところもありました。
でも逆に言えば、これは経営者として次のステージに上がるチャンスだな、と。

今までずっとサービス業、知的なものを扱う仕事をしてきたんですけど、
ものを実際に作っている会社って、全然違う。大変さも違う。
だから、工場の経営者もやることになりました。

ざっくり言うと、私の経歴と今の仕事はそんな感じです。


 

日本とタイで「働き方」が違うと感じるところ

 
Q.PandaTestの翻訳は日本とタイの文化や労働習慣の差が翻訳に影響すると思いますが、このような種類の翻訳をする際に意識されていることや難しさを教えてください

よく「日本人はこう」「タイ人はこう」と言われますけど、国籍が同じでも考え方が同じとは限らないですよね。

性別も違えば、親も違う。世代も違う。育った地域だって違う。私の実家は山形ですけど、
山形の人と東京の人は考え方が違うじゃないですか。だから、そもそも「違う」のが前提だと思ってます。

働き方で言えば、日本はメンバーシップ型ですよね。会社に雇用されて、配属がどこになるか分からない。
営業かもしれないし、総務かもしれないし、生産管理かもしれない。

でもタイは、アメリカみたいにジョブ型で雇用されます。
大学で機械工学を出たならエンジニア、みたいに、縦と横のラインがぶつかったところで採用される。
だから上のポジションが埋まっていると、社内で上がれない。上げたければ転職する。
これがタイでジョブホッピングが多い理由のひとつです。

ただ、法律はどちらかというとメンバーシップ型っぽい面もある。
それと、タイはピラミッド社会で、権力者と弱者の階層が強い。組織でいうと、雇用者か被雇用者か、経営側か労働者か、その二層で捉えられがちです。

日本の仕組みを海外に持ち込んだ時に、納得はするけど「ちょっと違和感がある」というのは、そういうところから来ると思います。


 

翻訳は「誰が読むか」「何のために使うか」が一番大事

今回の翻訳は、日本語からタイ語ということもあって、基本的に全工程はタイ人が関わっています。

ステップは三つです。
1つ目が、日本語からタイ語に翻訳する人。
2つ目が、日本語とタイ語を比べて、間違いがないか確認する工程。
3つ目が、日本語が分からないリアルなタイ人がタイ語で読んで、意味がすんなり入るかチェックする工程。

翻訳で大事なのは、海外に行ったことがないタイ人でも、外国語が分からない人でも、すんなり理解できるかどうか。
もう一つは、その文章を作った人、使う人(ユーザー)のニーズに応えられるかどうかです。

例えば裁判資料も、弁護士事務所が使うのか、経営者が意味を理解したいのかで、
ニーズが全然違う。元の資料は一つでも、訳し方は変わることがある。
だからお客様のニーズを把握することがとても重要だと思っています。
 

AI翻訳は便利。でも「使い手の言語能力」が必要

 
Q.今回初めて翻訳会社様に依頼をさせていただき、AI翻訳が発達し便利な世の中ですが、翻訳という分野の奥の深さを実感しました。

AI翻訳や機械翻訳が訳したものを、直す仕事(ポストエディット)も受けています。

AIには癖があるので、「これはAIが訳したな」って見れば分かるんですよね。
特に日本語やタイ語みたいに、主語がなくても通じる曖昧な言語は、AI泣かせです。

私もChatGPTやGeminiはよく使いますけど、結局は使い手の言語能力、母国語の力と、
アウトプットする言語の知識がないと、AIの翻訳も意外と使いこなせません。
自分で「これは違うな」って判断できないといけないので。

あとAIの問題点は、必ず英語を介する形になりがちなんですね。
日本語→英語→タイ語、タイ語→英語→日本語みたいな。

このマッチングが多ければ多いほど精度は上がるのですが、実際使ってみると、
会計用語とか、感情を訳すもの、物語みたいな意訳が必要なものは、まだ課題があると思います。

読み手のニーズを満たしつつ、書き手の思いを伝える。そこはこれから先のテーマですね。
 

経営者は「外部通訳」を定期的に入れたほうがいい

 
Q.通訳・翻訳会社を経営する前田さんも外部の通訳を使うことがあるとお聞きしました

私自身も、正確に伝えたい時は通訳を使います。

日々の仕事はタイ語で直接伝えることもあります。
でも、きちんと理解してほしい時、正確に伝えたい時は外部から通訳を雇っています。

うちは通訳さんに、第二・第四金曜日で年間スケジュールを組んでもらって来てもらっています。
印刷会社では社員と1on1をやっていますが、その時も外部通訳を入れました。
理由は、その人の思っていることを正確に理解したかったから。こちらの意図も正確に伝えたかったからです。

外部通訳を使うメリットは、社内通訳だと秘密事項を握ってしまうことがある点にもあります。
会社の情報を握ると、知らない間に権力を持つケースがあるからです。
だから日々の業務は社内に日本語ができる人で対応してもいいけれど、経営者の想いや、細かい数字、お金の話は外部通訳を入れるのをおすすめしています。
月1回でもいいので、通訳が訪問する日に会議や重要な話をまとめて入れる、という形は多くのお客様にも勧めています。

裁判所に行く時も同じです。
タイの裁判所はタイ語ができないとダメなので、自分で話すこともできるけど、
私のタイ語が原因で不利になりたくない。だからお金を払ってでも通訳を連れて行きます。
 

まとめ

外国人がタイで長く事業をする際には、言語も制度も文化も「違い」が前提になります。

翻訳も通訳も、単に言葉を置き換える仕事ではなく、「誰に」「何のために」伝えるかが本質なのだと実感しました。
そして経営者が重要な場面で伝えるなら、外部のプロを使うのが安全で確実です。
お困りの日本人のみなさんはぜひ前田さんにご相談してみてください

https://tjprannarai.co.th/
https://www.abeno.co.th/jp/